seki interview 

毎日くる日もくる日もアイロンがけの日々


洋服のお仕事関連のスタートは? 

 「僕のスタートは、SARTO(お直し)に入ったのがきっかけでした。」

それは、なぜ直しの仕事をやろうと思ったんですか。


 「SARTOの前に、看板屋みたいな、全然違う職種の仕事を4年ぐらいやって。その看板屋のときにも、自分でペイントで服に描いたり、そのときにミシンを買って、自分で見よう見まねで縫ったりっていうリメイクみたいなことをしていて。で、3、4年勤めて、職人との板挟み的な人間関係が、もう嫌だなっていう時期があって、その会社を退職して。そこから、ミシンとかで縫って、あんまり対人的なことをしないことを探してたんです、黙々とできることを・・・。 」

職人的な仕事がやりたいと。

 「職人的なことがいいなと思って、職安とかを探してて、それでたまたま見つけたのが、SARTOっていう、洋服の直しをメインとしてる会社。それ以外もいっぱい電話したんですけど、経験がなかったんで、全く面接に辿りつけなくて、SARTOだけ面接に辿りつけました。」

面白がってくれた? 

関 「はい。じゃあ、来れば?って、東京に出てくるきっかけになったのがそこでしたね。」 

なるほど。お生まれはどちらですか、出身は。

  「群馬です。」 

群馬なんですね。もともとの仕事のときに、ミシン使って洋服をリメイクしてたっていうのは、それは好きだったんですか、そういうのが。 

 「好きでしたね。Tシャツ自分で刷れるやつとか買ったりとかして、フリマとかいろいろやって。全然売れないんですけど趣味でやってて、何となく、そういうのをしたいなっていうのもあったので。 」

なるほど。じゃあ、趣味が結果的には仕事になって。 

関 「完全にそうですね、僕の場合は。」


SARTOに入ったときは、職人さんで入ったんですか。 

 「最初は、ミシンを基本的にいじらせてくれずに、プレスワークっていう、英語にするとかっこいい。一応、アイロンをずっと、ひたすら仕上げっていう。そのときはクラシコブームで、セレクトショップの下請けをSARTOがメインでやってたので、セールでパンツとかが何百本って来るやつを、流れ作業でみんながやった最後の最後に行き着いたとこを、ずっとアイロンをやるっていう作業をやってました。 仕上げのアイロンを。 」

めちゃくちゃ。でも、パンツ、ジャケットも? 

関 「ジャケットも全部やってました。」 

ジャケット難しいですよね。


関 「ジャケットは難しいですね。ふわっと仕上げるっていう謎の。うわ、なんだ?と思いながらやってました。 」

それは、いわゆるシャツも全部、アイロンはもう? 

関 「シャツもやりました。パンツも。基本的に、来るものは全部、最後はそこで仕上げて、各お店に納品するようにラックに掛けて、ちゃんとハンガー掛けてっていう準備をやってました。」


死ぬほど触った洋服、今後は役目を終えた洋服たちにまた命を吹き込む仕事をしたい

 そのときは関さんは、そのプレス、いわゆる、アイロンを2年間やりながら、この次の段階はなんだっていうふうに説明を受けてたんですか。

 関 「ミシンですね。」

次はミシンだよと。


 「はい。」

とは言われてたんですね。 

関 「言われてましたけど、あるあるですけど、僕より下の子が入ってこない限りは、そのポジションは僕がやらない限り、やる人がいなくなっちゃうんですよ。 」

そうですよね。これ、職場あるあるですよね。 

 「だって、ずっと入ってこないから、ずっとやってました、アイロン。 」

じゃあ、これ、ミシンいじれないなと? 

 「ミシン、これ駄目だなと思いながら。でも、いや、楽しかったですけどね、そのとき。」 

楽しかった? 洋服には死ぬほど触れるわけですもんね。 

 「触りましたね、死ぬほど。そのときは全然分からないテーラーのブランドのパンツとか来たら、イタリアのパニコとかアットリーニとか、何が違うの?と思いながら「アイロン、まじでおまえ気を付けろっ」て言われながら、やって。」 

確かに。焦がすわけにいかないですもんね。 

関 「最初は裏側から最初やれよ」とか(笑) 

で、やってたと。結局、ミシンには、じゃあ、進まずに? 

 「いや、そこで運良く。 」

入ってきた?下が。

関 「入ったり辞めたりだったんですけど、うまいことミシンを触るタイミングが、何年後かに訪れて。裾のステッチから。」

あれが基本なんですか。

 「あれからやりましたね、ステッチ仕上げ、デニムで。間違っても、ほどいても跡があんま残んないので、デニムだと。それからずっとやってました。 」

で、その先は?

 「そこから、デニムやりながら、今度はスラックスのウエストをやったり。ワタリ詰めっていって、ももから膝、少し細くするとかってやってるうちに、SARTOが徐々に規模が拡大していって、下請けだけじゃなくてお店を出そうってことになって。お客さんとのコミュニケーションを取れるお店を、社長がつくろうって言いだして。それでSARTO原宿っていうのが出来て、そこに僕も行くことになったんですよね。ただ、今もそうですけど、あんまり人とのやりとりが、得意じゃなかったから、うわあと思いながらも、人もいないし、じゃあ、おまえ原宿行けって言われて、ミシンとかをやりながら接客って感じでした。」

じゃあ、そのときは接客とミシンと、要は両方やってたんですか。 

 「両方やってました。 」

関さんの気持ちとしては、洋服好きだから、ミシンのほうに気持ちが行っていた?正直なところ。 

関 「気持ちもいってますし、縫いながら接客するっていう、その気持ちの切り替えるのが非常に難しくて。よくありますけど、近所の直し屋さんとか、おばちゃんが縫いながら接客したっていうので、接客態度がどうのこうのとかって言われる気持ち、すごく分かるというか。やっぱり気持ちが切り替えられない。」 

やっぱりそうですよね。途中までやって集中してたところを、突然来て、みたいな。 

 「はい。 」

洋服を直したりとか接客して、結局、なんか変化ってありました?洋服好きだったところから。お客さんとの。


 「話す内容、そんなにボキャブラリーもないので、結局、洋服のことで、ある程度縫ってたから、ちょっと構造のこととか、普通の人があんま知らないようなこと、ジャケットの中がどうのこうのとかっていうの話しながら、それでちょっと、コミュニケーションが徐々に、それをきっかけに取れるようになって、接客とかも楽しいのかなっていうふうに思うことはありました。」

そうか。関さんが探し出したあれ、再生繊維の日本環境設計。 

 「Tシャツの? はい。」

あれとかはどういう出だしですか。 


 「あれは、阿知良とも話してて、洋服再生というか、そういうのを探してたんですよね。繊維を再生して、なんか作ってるものとかないのかなっていうので、ネットで調べて、たまたま日本環境設計っていう、めちゃくちゃ堅そうなとこだったんですけど、いろいろ調べたら、高島屋でイベントやったり、Tシャツは、再生ポリエステル100パーセントで作ってるとか、古着の回収もやっていて。そこにコンタクトを取って。そこから取引、少量ですけど、いいですかって言ったら、全然いいですよって言ってくれて、仕入れさせてもらったっていうのがきっかけでした。」 

そっちのほうに目が行くとか、気持ち的に探してみようって思うのも、なんですか、時代の流れですか。それとも、やってくうちに思ったことがあったんですか。 

 「時代の流れなんですかね。そこがなんか、覚えてはなくて。 」

でも、やっぱ気にはなり始めてた?  

関 「気になってたんだと思うんですよね。なんか商品扱いたいけど、他のいろいろな直し屋さんとかとも、やっぱりかぶりたくはないし、同じこともしたくないけど、物販で、僕らっぽいのをアピールできるの何かなって、それが面白いかなって。ちょっと環境っぽい感じもありつつ、僕らのやってることと似てるよねっていうので。 」

洋服再生プロジェクトで、今後、洋服の活かし方っていうか、それはもう、直しだけにとどまらずみたいな感じになりますけど。 

 「そうですね。難しいところですけどね。直しもしつつ、僕の趣味でもある、デニムを再生するじゃないですけど、何か手を加えて、それを販売するのか、リメイクしたものをご提案したいなっていうのもありますし。」

なるほど。じゃあ、その辺の活動も、この原宿洋服再生プロジェクトのオウンドメディアで。 

 「そうですね。 」
関 「ありがとうございます」

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